ドイツの首都ベルリンには、数々の美術館・博物館があり、そこで見られる貴重な美術品や芸術作品はもちろんのこと、そうした品々を展示する建物も非常に魅力的なものがたくさんあります。今回は、その中の1つ、「新博物館」について焦点をあててみたいと思います。ここは、2009年に約70年ぶりに再オープンし、古代エジプトの「王妃ネフェルティティの胸像」や「ベルリンの黄金帽」など必見の収蔵品がたくさんありますが、新博物館の修復そして改築を手掛けたイギリス人建築家のディビット・チッパーフィールドなどによる建物自体にも多くの魅力が詰まっています。
そもそもこの新博物館があるのは、ベルリンの街を横切るシュプレー川の中州であり、ユネスコ世界遺産にも登録されている博物館島です。ここには5つの美術館・博物館が建てられていますが、ここで最初に建てられたものが、ドイツを代表する建築家の1人、カール・フリードリッヒ・シンケル設計の「旧博物館」で、これは1830年にオープンしています。その後、旧博物館のみでは収蔵品が次第に収まらなくなり、旧博物館を拡張するようなかたちで1840年代から50年代にかけて今回の新博物館が建てられたのでした。
この時、新博物館の設計を手掛けたのが、フリードリッヒ・アウグスト・シュトューラーという建築家で、彼はシンケルと師弟関係にありました。シュトューラーは、新博物館を設計にとどまらず、博物館島のマスタープランも策定していました。これは、当時のプロイセン王ヴィルヘルム4世が「“旧”博物館から後ろのシュプレー島全体を芸術と科学の聖域につくりかえる」という考えを持っていたため、これを反映するかたちでマスタープランを作成し、実施にシュトューラーの計画案に沿うように後の博物館も計画されていきました。
他のベルリンの建物と同様に、この新博物館の運命が大きく変わったのが第二次世界大戦でした。この戦時中に新博物館も大きく損傷してしまいました。元々この建物はシンケルの旧博物館とブリッジでつながっていたのですが、このブリッジも空襲によって破壊されてしまいました。終戦後、ここは東ベルリンとなりましたが、この間ほとんど建物の修復はされなかったため、屋根の抜け落ちた部分などは雨風に晒されたまま更に傷が大きくなってしまいました。このようにして、新博物館は1939年の第二次世界大戦が始まる直前に閉鎖されてから2009年に再開されるまで、およそ70年間の空白の時を経験したのでした。
ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが再統一されると、ようやく放置されたままの新博物館が修復されることになりました。90年代に国際設計コンペが実施され、そこで選ばれたのがディビッド・チッパーフィールドとジュリアン・ハラップでした。この修復計画においての最重要事項は、空爆などで大きく失われた建物ボリュームの補完、そして現存部分の補修でした。チッパーフィールドたちは、こうした要求がある中で、元々の形をそのまま模倣するのではなく、欠落した部分の修復・復元によってオリジナルの構造がその素材や空間の文脈において引き立つように計画を進めていったそうです。
チッパーフィールドの今回の改築の見所は細かく見ていくとたくさんありますが、最も印象的なものはやはり中央階段のある空間だと思います。この空間は、シュトゥラーが手掛けた時点ですでに見事なものでした。彼はこの部屋を左右対称のジオメトリックな構成に仕上げ、周囲の壁にはレンガを用い、またジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロによる四大陸のフレスコ画も飾られていました。手すりや屋根構造には軽やかな鉄が使われ、優美できらびやかであると同時にモニュメンタルな雰囲気のある空間でした。
しかし、戦争中の屋根の崩壊や、何十年と雨風に晒された結果、この空間は大きくダメージを受けてしまいました。ここの修復において、チッパーフィールドたちは以前の鉄製の手すりや屋根構造をそのまま復元するのではなく、鉄の軽やかさとは反対の重厚感のある石材や太い木材を用いて手すりや屋根を修復し、何とか残存していたレンガの壁や扉の一部を残しながら、こうした元々の素材や空間を活かして再構築していったのでした。新博物館には多くの貴重な展示品もありますが、こうしたチッパーフィールドたちによる修復・改築の建築的な細かな配慮がなされている建物部分についても注目してみてはいかがでしょうか。
ベルリンの建築についてはこちらの記事でも紹介しています。
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