ヨーロッパの国々では、個人住宅から集合住宅、商業施設や駅舎など用途に関わらず築100年以上の古い建物も決して珍しくありません。そこには、日本と異なり、建物が損傷するような自然災害がほとんどないこともありますが、ヨーロッパには「古さ」はつくれないという考えから、古いものを大切に使い続け、そこに価値を見出す精神があるように思います。しかし、時代の変化によって、当初の用途では使い続けることができないため、用途を変更しながら建物を活かし続ける、いわゆる「コンバージョン」も広く行われています。今回紹介するハンブルク駅現代美術館は、1840年代に建てられた駅舎建築が現在では現代美術館にコンバージョンされている事例ですが、19世紀半ばから現在に至るまでどのような経緯で美術館へと変貌していったのでしょうか。
ハンブルク駅現代美術館の建物は、1846年から翌年にかけて現在のベルリン中央駅から数百mの場所に建てられました。名前の通り、当初はベルリンとハンブルクをつなぐターミナル駅としての役割を果たしていました。ベルリンにはかつていくつものターミナル駅が存在しましたが、現在でも残っているのはこの建物だけで、ドイツ内でも最も歴史のある駅舎建築の1つだそうです。この駅舎の設計を手掛けたのは、フェルディナンド・ヴィルヘルム・ホルツという建築家とフリードリヒ・ノイハウスという鉄道エンジニアでした。彼らの手によって、4つのホームを覆う大きなアーチ型の屋根が駅舎にかけられ、機関車の転車台のために前庭にスペースが設けられました。この駅舎の設計は、19世紀後期のベルリンにおける駅舎建築のモデルともなったと言われています。
その後、駅舎は計画通りターミナル駅の役目を果たしていきましたが、19世紀終わりに近づくにしたがって列車の本数が急速に増加していったため改築が施されていきましたが、結局対応しきれなくなり、40年も経たずして駅としての役割を終えることになりました。その後、建物はすぐに解体されるのではなく、住居や行政施設として使われながら、1904年からは交通・建設に関する博物館となるにあたって、エントランス後ろのホール、そして1909年に東棟、1914年に西棟がその後次々と建てられていきました。この時に、現在の前庭を囲む部分の外観が完成しました。つまり、今から100年以上も前に駅舎からミュージアムへのコンバージョンが行われたのでした。
第二次世界大戦中、ベルリンは何度も空襲を受け、ほとんどの建物が損傷してしまいました。ハンブルク駅現代美術館の建物も同様で、戦時中は度々被害を受けたそうです。その後の冷戦期には、東ベルリンと西ベルリンの丁度境目に位置していたことから、何十年間も建物は使用されることがありませんでした。その時の停滞を破るきっかけとなったのは、1987年のベルリン市生誕750周年でした。これに向けて、ハンブルク駅現代美術館の建物では80年代に入り建物の部分的な修復が行われ、1987年「ベルリンへの旅」という展示会でミュージアムとしての機能を再開しました。その後、建物を将来的に現代アートの美術館として使用することが決定され、ヨゼフ・パウル・クライフスという建築家により川沿いに横たわる80mの巨大なホールの増築も含めて建物の全体的な修復・改築が行われ、1996年に今のハンブルク駅現代美術館としてオープンしたのでした。
2004年には建築事務所クエン・マルヴェッツィの設計で本館の後ろに更なる展示空間が増築され、展示スペースは7000㎡から10000㎡を越える床面積になりました。これは、美術館のコレクションの増加によるものだそうで、これによりハンブルク駅現代美術館は現代アートでは世界の中でも最大でかつ重要なコレクションを持つギャラリーとなったのでした。このように、ここは今でもその時の必要に合わせて元々の建物を活かしながら、変化したり拡張していっています。この建物の過去の形態や用途もそうですが、今後どのようにその形や使われ方が変化していくかにも注目してみてはいかがでしょうか。
ベルリンの建築についてはこちらの記事でも紹介しています。
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