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教会塔だけ奇跡的に建ち続ける「聖ニコライ教会跡」


街中心部の大半が破壊されたベルリンをはじめとして、第二次世界大戦ではドイツの多くの都市が甚大な被害を受けました。ハンブルクもその1つで、街中にはいくつもの慰霊碑を見ることができます。その中で、現在でも多くの人々が訪れる場所となっているのが、聖ニコライ教会跡です。ここは、ベルリンにあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会のように、戦時中に被害にあった教会をそのまま残し、戦争遺構として後世に戦争の悲惨さを伝える場となっています。今回は、この聖ニコライ教会が辿ってきた歴史などを見ていきたいと思います。

聖ニコライ教会の歴史は古く、現在の場所からほど近い所に小さな礼拝堂が1195年に建てられたのが始まりでした。そこから、時代を追うごとに何度か拡張され、ついには1500人もの人々が入れるだけでなく、135mの塔も持つ立派な教会へとなっていったそうです。ところが、1842年のハンブルク大火において教会は大きな被害を受け、建物の大部分が崩壊してしまったのでした。このハンブルク大火は、街の3分の1が被害を受けたという大火災だったそうです。

この大火災を受けて、ハンブルクは道路幅を拡張するなど延焼を防ぐ対策を進めていきました。聖ニコライ教会の再建においても、通りを刷新するために、元々の場所から少し東に動かしています。教会の設計にあたってはコンペが行われましたが、教会や市民の意向により、コンペで3位となったイギリス人建築家ジョージ・ギルバート・スコットが設計者として選出されました。

彼は、ロンドンのセント・パンクラス駅を代表としてネオゴシック様式の建築で有名ですが、ここでもネオゴシック様式の壮麗な教会をデザインしました。そして、何と言っても147mの高さを持つ教会塔は街の人々の目を引きました。教会の建設は1846年から進められ、1874年にはその教会塔も完成しています。実は、この時点で聖ニコライ教会の教会塔は世界で最も高い建物であったそうです。それはわずか数年でフランスのルーアン大聖堂に抜かれてしまいましたが、教会塔としては今でも世界で5番目の高さを誇っています。

この教会塔によって、聖ニコライ教会はハンブルクの街の1つのシンボルともなっていましたが、第二次世界大戦によってその状況は大きく変わります。ハンブルクも他のドイツの街と同じように戦中は何度も空襲を受けました。その中で最も被害が大きかったのが、「ゴモラ作戦」と名付けられた1943年7月末の大空襲です。これによって、街の半分にあたる30万戸の住戸が破壊され、4、5万人もの市民が亡くなったと言われています。この空襲の際に爆弾投下の目標となっていたのが聖ニコライ教会の教会塔だったのです。この時、教会建物の大部分は失われましたが、教会塔自体は奇跡的に崩壊を免れたのでした。

戦後、聖ニコライ教会は、建物を昔のように再建する選択肢もありましたが、結局そのまま残し、ここをナチス政権によって犠牲になった人々のための慰霊碑とすることに決めました。教会の地下には戦争による街の被害の様子などの展示がある博物館も設けられています。教会塔は奇跡的に大きな被害を受けませんでしたが、近くに行くと、戦争の傷跡だとわかる箇所がいくつも見受けられます。近年、教会塔の石が欠落する危険を抑えるために、欠陥のある石や接合部の補修がなされ、また、エレベーターを使って塔の76mまで上ることができるようにもなりました。ハンブルクを訪れた際は、この教会跡、そして塔の上からハンブルクの街を眺めて、聖ニコライ教会やハンブルクが遭遇した負の歴史にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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