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(ハンブルク観光)外観も内部も見所いっぱいの「ハンブルク市庁舎」

最終更新: 2019年12月18日


ヨーロッパにおける街の庁舎を見学してみると、それらの建築から街の歴史や在り方を見てとることができます。ドイツ北部最大の都市ハンブルクの市庁舎は、まさにその典型と言っていいでしょう。また、その建設の歴史を見てみると、さらにハンブルクの街についての理解を深めることができます。そこで今回は、このハンブルク市庁舎の建築について、その建物竣工までの歴史や見所などについて紹介していきたいと思います。

現在のハンブルク市庁舎が完成したのは1897年ですが、その建設計画はすでに半世紀以上も前から始まっていました。新庁舎建設のそもそものきっかけとなったのが、いわゆる「ハンブルク大火」と言われる1842年ハンブルクの街を襲った大火災でした。この大規模な都市火災によって、ハンブルクの街の4分の1が被害を受けたと言われています。このハンブルク大火を受けて、今後このような大火災が生じても火が燃え広がらないために、それまでの市庁舎を取り壊し、新市庁舎を別の場所に建設することになったのでした。旧市庁舎はその後爆破され、暫定の市庁舎がすぐに建てられたのでした。

しかし、ここからが長い道のりでした。まず問題となったのが、新しい市庁舎をどこに建てるかということと、誰が設計するかということでした。こうした課題は、市民をも巻き込んだ大きな議論となり、設計コンペを2度開催しながら、その間に200にもなるかという多くの計画案が提案されたのでした。この計画案の中には、オットー・ワーグナーやゴットフリート・ゼンパーといった当時の巨匠たちのものもあったようです。その後、1886年には市庁舎の建設が始まりましたが、19世紀末に街にコレラが蔓延し建設作業が遅れたことも、新市庁舎竣工までに半世紀以上の時間を要した原因となりました。

様々な議論の末、新市庁舎の設計は、前ハンブルク市長の息子である建築家マルティン・ハラーが指揮をとりながら、地元の建築家6人が協働して行うことになりました。そして、彼らにより、中央に112mの塔が聳え立つネオルネッサンス様式の現在の市庁舎が設計されたのでした。街のシンボルとなるような高く聳える塔だけでなく、ファサードにもあるような数多くの彫像、イギリス・バッキンガム宮殿よりも多くの部屋数を持つ内部など、非常に豪華で贅沢な造りの建物となっています。というのも、当時ハンブルクは、大西洋航路を介した貿易・商業で成功を収め、街に駅やオフィスビル、ホテルなどが次から次へと建設されていく隆盛の時代にありました。つまり、新市庁舎はそうしたハンブルクの発展・繁栄を象徴するような建築なのです。

市庁舎の建物では、やはり中央に建つ塔が目立つ存在となっていますが、建物に少し近づいてみると、外壁の至るところに細かな装飾が施されているのに気付くと思います。窓と窓の間にカール大帝などの神聖ローマ皇帝のブロンズ像が20体飾られていたり、窓の上部にはパン屋や漁師などの職業を示す像が28も彫られていたり、先のハンブルク大火を想起させるフェニックス像、唐草模様の黒い格子扉など、建物のファサードを埋め尽くすように多様な装飾で市庁舎が飾り付けられています。

こうした装飾性は室内でも見られます。正面の入口を入ると、1階ホールがありますが、ここの天井を支える太い柱にはメダリオン型の浮彫が施されていたり、400人もの来賓をもてなすことができる大宴会ホールには、ヒューゴ・フォーゲルの5枚の絵画が掲げられているそうです。実際にこの市庁舎に訪れてみると、これ以外にも様々な部分に色々な装飾を見つけられると思いますので、こうした部分からもハンブルクの歴史や隆盛を感じてみて下さい。

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