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ベルリンの歴史を肌で感じられる「テロのトポグラフィー」

July 29, 2019

 ナチス時代や東西冷戦において、ベルリンはその歴史の中心にありました。しかし、戦争時の空爆やその後の体制や時代の変化とともに、そうした歴史に関する場所や建物は失われてきました。そうした中で、今回紹介する「テロのトポグラフィー」というのは、ナチスの施設とベルリンの壁が今も残る場所で、そこで2つの歴史の展示も行われているという貴重な施設であります。そこで今回は、このテロのトポグラフィーについて、その成り立ちや施設を詳しく見ていきたいと思います。

まず、この「テロのトポグラフィー」という名前ですが、これは、ナチスと冷戦という2つの恐怖(terror)が実際に繰り広げられた場所(teporographie)ということを意味します。この施設は、冷戦時代の1つのシンボルでもあったチェック・ポイント・チャーリーからポツダム広場へと向かう途中に見ることができます。冷戦時代には、この一帯にベルリンの壁が建ち並んでいました。現在でもベルリンではあちこちで現存するベルリンの壁を見たり触れたりすることができますが、ここに残された壁は、数百メートルに渡ってそのまま残されており、なおかつ東西統一に伴ってハンマーで激しく叩かれた跡など、他で見られるベルリンの壁とは少し違い、当時の様子をまざまざと感じることができます。

 このベルリンの壁の向こう側に行くと、地面が大きく掘られた屋外展示スペースに出ます。実は、この敷地にはかつてゲシュタポで知られるナチスの秘密国家警察の建物が建てられていて、この地面に広がっているのはゲシュタポの地下牢であったそうです。このゲシュタポの建物自体は戦後に取り壊されましたが、1985年に発掘調査が行われ、その際にこの地下牢が発見されました。ここには、ゲシュタポの他にも、親衛隊、いわゆるSSや、国家保安本部の主要建物が建てられていました。つまり、丁度この場所でナチスの様々な計画が考え出され、決定されていったということになるのです。

 テロのトポグラフィーは当初、半年だけの展示イベントとして行われました。それは、1985年の発掘調査によってゲシュタポの地下牢が発見された2年後のベルリン市制750周年を記念するイベントでした。しかし、予想外に反響が大きかったことから、展示を無期限で行うことが決定されたのでした。それにあたって、展示建物の設計コンペも1993年に実施され、世界的に有名なスイス出身の建築家ピーター・ズントーが選出されました。

 彼の計画案は早速建設が開始されましたが、建設コストが予定を遥かに超えたこと、そして財政難を理由にプロジェクトは完全にストップされたのでした。プロジェクトのやり直しということで、2004年に再び設計コンペの実施が決まりましたが、これを不服としてズントー側は裁判を起こしました。最終的にはプロジェクトのやり直しが認められるかたちになり、建設が途中となっていたズントー設計の建物は跡形もなく解体されることになりました。

 ズントーによる設計計画が頓挫した翌年には新しいコンペが決まり、2006年にベルリンに事務所を置くハインル・ウィッシャー・パートナーの建築家ウルスラ・ウィルムスと、ランドスケープデザイナーのハインツ・W・ハルマンが選ばれました。彼らの計画案においては、非常に複雑で深い歴史が折り重なるこの敷地で、新築される建物が可能な限り中立を保つよう無駄な意味を持たないために、シンプルで単純な四角い形態で透明性の感じられるガラス張りのファサードを持つ建築にデザインされました。ここを訪れた際は、ベルリンの壁やゲシュタポの地下牢といったドイツの2つの大きな歴史を直に肌で感じるだけでなく、そうした複雑な敷地において建築といった新しく手を加える非常に難しい部分のテーマについても注目してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

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