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(ベルリンの建築)ベルリンの壁の歴史を継承した追悼・祈りのための建築「和解の礼拝堂」

30年前のベルリンの壁崩壊以来、街は徐々に再統合・再開発されていきました。立ち並んでいた壁もその殆どが撤去され、今では街の数カ所でその一部を見られるだけになっており、記憶の風化もどんどん進んでいます。こうしたことを危惧し、壁崩壊のすぐ後から「負の遺産」やその記憶を後世に継承していく動きがありました。その1つが、ベルリンの街の北部のベルナウアー通りにある「和解の礼拝堂」です。今回は、この和解の礼拝堂について詳しく紹介していきたいと思います。

今の和解の礼拝堂は突然ここに建てられたわけではなく、現在は残っていない以前の教会が建っていた場所に建設されました。その教会は1894年に完成した立派な建物でしたが、1961年にベルリンの壁が建設されると、この教会は不運にも丁度ベルリンの壁の緩衝地帯内に位置してしまい、誰も立ち入ることのできない教会となってしまったのでした。

その後、この教会はそのまま建ち続けていましたが、1985年になると突然監視のための視野の確保を理由に爆破されたのでした。そのわずか4年後にベルリンの壁は崩壊したため、非常に残念な出来事となってしまいました。東西ドイツが再統一すると、長きに渡って市民を苦しめてきたベルリンの壁はあっという間に撤去されていきました。こうした光景を前にして市民たちは、これではベルリンの壁が生み出した負の歴史がすぐに忘れられてしまうと危惧したのでした。そして、彼らの尽力により、ここで起きた負の歴史を後世へと伝えるために建てられた建造物の1つが、この礼拝堂だったのです。

2000年に完成したこの礼拝堂の設計を手掛けたのは、ベルリンの建築家ペーター・ザッセンロースとルドルフ・ライターマンです。彼らの手によって和解の礼拝堂の祭壇は旧教会の祭壇と同じ向きに、そして講壇はエルサレムの方角へ向くように計画されました。これによって、追憶と祈りのための神聖な空間が生み出されています。

この建物は珍しい工法で建設されたことでも有名です。それは、「版築」という工法で、これは土や砂利などを型枠に入れて、上から突き固めて壁や基礎を構築していくという昔からある工法です。この工法によって、礼拝堂を構成する二重円の内側の壁がつくられています。そして、この壁を近くで見ると、小さなタイルやガラスが入っていることが確認できると思います。これは、爆破された旧教会のもので、建材を再利用するとともに、過去の記憶や物を未来へと受け継いでいく意味も込められているのです。

建物の外には旧教会から受け継ぐ3つの鐘が入っている木枠があり、ここが旧教会の入口あたりになるそうです。さらに、礼拝堂の入口のすぐ横には、広島にもある「和解の像」という2人が膝を地面につけて抱き合う像も設置されています。

和解の礼拝堂のあるベルナウアー通りというのは、ベルリンの壁を越えて西側に逃げようとして多くの人々が亡くなった場所であることから、和解の礼拝堂以外にも当時の歴史を深く知ることができる施設や場所がいくつもありますので、まさにその歴史が刻まれたこの場所で、当時のことについて思いを巡らせて見てはいかがでしょうか。


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