ベルリンには第二次世界大戦などドイツの負の歴史を伝えるものが多くあります。なかでも記念碑やモニュメントは多くあるのですが、ユダヤ人虐殺を伝えるものは小規模なものしかありません。そこでお勧めしたいのは、ベルリン郊外にある 町オラニエンブルクを訪れること。そこには大規模な強制収容所跡が残されており、今では展示施設として多くの資料を展示しています。
オラニエンブルクはベルリンの北にある都市で、ベルリン中心部から電車で40分ほどで訪れることができます。そんな街の外れにかつて強制収容所はありました。その名前は「ザクセンハウゼン強制収容所」。1933年に建てられた後、大規模な施設に建て替えられ、1936年から1945年まで強制収容所として政治犯やユダヤ人の収容施設として利用されていました。
強制収容所を訪れると最初に見えるのは広大な敷地。その入り口には門となる建物が建てられています。門に取り付けられているのはアウシュビッツ強制収容所にもあるスローガン「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」。その門をくぐり抜けると、かつて収容所だった敷地に入ることになります。
敷地に広がるのは広大な空間。かつては入り口の門を中心に放射状に多くの建物が建てられていました。ですが、その多くが取り壊されており、砂利が敷かれた建物跡が延々と並んでいます。一部ですが、ユダヤ人を収容する施設、拘置所、医療実験が行われた医療施設、火葬施設跡が今も残されていて、見学することができます。
「バラック38」と「バラック39」と呼ばれる2棟のユダヤ人収容施設には、敷き詰められた小さなベッド、そして粗末な浴場が残されています。ここでは1938年から1942年までの間多くのユダヤ人が強制収容されていたそうです。みすぼらしいベットや寒さをしのげない祖末な建物を見ると、当時の収容所生活の悲惨さを想像することができるでしょう。
強制収容所では1945年までの間に20万人を越える人々が収容され、何万人もの人々が飢餓、病、強制労働、虐待で亡くなったそうです。ここは虐殺を目的とした絶滅収容所とは異なりますが、それでも多くの人が命を落としています。こうした犠牲者は施設内の焼却炉で燃やされたそうです。そんな焼却施設の跡を見学することができ、ここで実際に多くの人が命を落としたことを実感することができるでしょう。
ザクセンハウゼン強制収容所では、収容されたユダヤ人の人々の記録や施設の歴史を今に伝えてくれる施設です。資料の多くは残念ながら英語やドイツ語のため、全てを理解することは簡単でありません。ですが残された施設を見ると、ここで何が起きたのかを感じることができます。戦争や虐殺は人類の負の歴史であり、繰り返さないためにも、振り返る必要があります。そんな負の歴史を感じる場所として、この施設をぜひ訪れてほしいです。 ザクセンハウゼン強制収容所 アドレス: Straße der Nationen, 22 D-16515 Oranienburg 入場料:無料 開館時間:8:30~18:00(冬期10月15日から3月14日は~16:30) 最寄り駅:SバーンOranienburg(S1) ホームページ(英語・ドイツ語): http://www.stiftung-bg.de/gums/index.php