ブランデンブルク門から南に歩いていくと、街の中心部にも関わらず、空白のように大きく開けた場所に出会います。それが、今回紹介する「ホロコースト記念碑」です。第二次世界大戦でナチスの迫害を受けたユダヤ人に関する施設としては、ユダヤ博物館がベルリンにはありますが、そのユダヤ博物館が水平垂直がないようなジグザグの建物であるのに対して、ホロコースト記念碑はきれいなグリッドからなるきれいな構成となっています。今回は、そんなホロコースト記念碑について詳しく見ていきましょう。
この施設の「ホロコースト記念碑」という名前は実は通称で、正しくは「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」と名付けられています。通称で見てみると、ナチスによって迫害を受けた人々に対する慰霊碑のような印象を受けますが、実際にはヨーロッパのユダヤ人だけを対象としており、ユダヤ人同様に迫害を受けた障害者や同性愛者やジプシーは含まれていません。このように、誰を対象とする記念碑であるのか、あるいは統一ドイツの首都に建設する必要があるのかという様々な議論がすでに80年代から起こっていました。
ベルリン市内の19,000㎡という広大な土地にこの記念碑を建設する必要性があるのかという議論もありました。そもそもどうしてベルリンの街のど真ん中にこのような印象を広大な敷地が確保できたかというと、ここはかつてベルリンの壁が建てられていた場所だからです。すぐ近くにあるポツダム広場やベルリン中央駅も同様に、壁崩壊後に壁の周辺は突然空白となり、そうしたまとまった広い敷地を利用して都市計画が進められていったのでした。
非常に繊細なテーマであることから、建設前はもちろん、建設中も様々な議論がなされ、2005年にようやく完成しました。この記念碑を手掛けたのはアメリカ人建築家ピーター・アイゼンマンで、彼はこの19,000㎡にもなる広大な敷地に、幅奥行き2.38×0.9m、高さ0~4.7mの石柱2711本を地面を波打たせながら建てていきました。アイゼンマンは、これらの石碑に記号的な意味付けがなされることを避けたため、もちろんそこには犠牲者の名前などはありません。ここには地下に情報センターもあり、抽象的な地上の場に対して、そこは800人のユダヤ人に焦点をあてて、彼らユダヤ人やホロコーストなどの具体的な歴史について理解を深めることができる場となっています。
地上部分には、目標となるものや経路もない、ただ石柱が規則的に建ち並ぶ空間となっています。しかし、一見真っ直ぐ垂直に建っているように見える石柱ですが、実際には微妙に少しだけ傾いているものがあったり、地面が波打っていたり、石柱の後ろから他の人が突然現れたりと、同様な空間が均一に広がっているのではなく、少しずつ違った空間となっています。ユダヤ博物館は、建物の形や経路1つ1つに意味付けがなされていますが、こうしたホロコースト記念碑の無記号な空間で、ユダヤ人の過去やこの記念碑自体にそれぞれの思いや評価について考えてみると、また違ったものが見えてくるかもしれません。
Denkmal für die ermordeten Juden Europas
アドレス:Cora-Berliner-Straße 1, 10117 Berlin
ベルリンの史跡についてはこちらでも紹介しています。
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