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ドイツのおしゃれな中庭空間を堪能できる「ハケシェ・ヘーフェ(Hackesche Höfe)」


日本とヨーロッパの都市景観を比較すると、ヨーロッパの街の建物がきれいに連続し、まとまりのある通りの景色により魅力を感じる方も多いと思います。その都市構造を可能にしているものの1つが、中庭です。ヨーロッパのそうした通りに沿って建つ建物の後ろには、ほとんどの場合で中庭が備えられています。この中庭を市民に開放し、魅力的な空間に仕上げられているのが、今回紹介するハケシェ・ヘーフェ(Hackesche Höfe)です。ドイツの首都ベルリンにある世界遺産の博物館島からほど近い場所にあるハケシェ・ヘーフェは、ギャラリーやレストランなどが集まり、観光スポットとしても人気となっていますが、この中庭特有の空間やデザインも人々を惹きつける理由となっているのです。

その空間を見ていく前に、まずはその名前について少し紹介しておきましょう。「ハケシェ・ヘーフェ(Hackesche Höfe)」の「ハケシェ」というのは、すぐ側にある「ハケシャ・マルクト(Hackescher Markt)」という広場の「ハケシャ」と同じで、これは1750年のフリードリヒ2世の命により辺りの都市開発を担当したベルリンの司令官ハンス・クリストフ・グラフ・フォン・ハケ(Hans Christoph Graf von Hacke)の名前が由来となっています。「ハケシェ・ヘーフェ(Hackesche Höfe)」の「ヘーフェ」というのは、ドイツ語で中庭を意味する「ホーフ(Hof)」の複数形となります。

こうした名前からも分かるように、ハケシェ・ヘーフェは全部で8つの中庭からなります。これらの中庭を囲む周りの建物が建てられたのは、1906年から1907年のことでした。いくつもの土地を組み合わせることによって、8つもの中庭を持ちながら、商業施設や文化施設、そして集合住宅で構成される大きな建物となりました。こうした建物の用途の変化に合わせて、ファサードを中心とした中庭のデザインも少しずつ異なっており、各中庭が特徴的な空間やデザイン性を持つように計画されています。

建物が建てられた当時の使われ方というのは、大きな通りにつながる最初の中庭の周囲の建物にはハケシェ・ヘーフェや近隣住民が集会などで親睦を深められるような宴会場が入っていたり、その奥にある中庭の周囲の建物には20世紀初頭ベルリンで盛んであった被服産業の工場が入っていたり、さらに奥にある中庭の周囲の建物は通りの喧騒から切り離された静寂な住環境のある集合住宅となっていました。当時は「ベルリン病」と言われた結核が流行していたこともあり、全住戸を中庭とつながり、各家庭にきちんと光や新鮮な空気が入るように考えられ、衛生面でも優れた模範となるような住環境を持つ近代的な集合住宅を目標としていたようです。

ハケシェ・ヘーフェの中で、最も特徴的で魅力的な中庭となっているのが、大きな通りから入ると最初に訪れる第一の中庭でしょう。この中庭のファサードデザインや周囲の建物の一部も手掛けたのは、アウグスト・エンデルというベルリンの建築家でした。彼の多くの作品は、アールヌーボーのドイツ版であるユーゲントシュティールというデザインスタイルで建てられており、ハケシェ・ヘーフェでも彼は窓の大きさや形、配置や色彩といったものをそれぞれのファサード面で違いを出し、この中庭をハケシェ・ヘーフェの中心的な空間となるようなおしゃれで魅力的なデザインとなっています。周囲の建物の階段や手すりといった細かな部分まで彼の特徴的なデザインを見てとることができますので、ここを訪れた際は、ギャラリーやショップを見て回るだけでなく、中庭や周囲の建物のデザインにも注目してみて下さい。

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