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球体デザインの訳とは?街の象徴となったベルリンテレビ塔

August 13, 2019

ブランデンブルク門や国会議事堂など、ドイツの首都ベルリンにはそれを象徴とする建造物がいくつもあります。そうした建造物には、毎日のように世界各国から訪れる観光客で溢れかえっています。そうした事で言えば、展望台が球体となっているベルリンのテレビ塔もその1つでしょう。一見真新しく映るテレビ塔ですが、実はまだ冷戦時代の真っただ中であった60年代に建設されたものなのです。今回は、ベルリンのランドマークの1つとなっているそのテレビ塔について紹介していきましょう。

 ベルリンのテレビ塔は、1965年から1969年にかけて建てられていきましたが、当時のベルリンは東西に分断されており、テレビ塔は東側に位置していました。つまり、社会主義体制であった東ベルリンによって建てられた建造物になるのです。少し意外に思われる方もいらっしゃるでしょうが、360m以上の高さを持つテレビ塔は、ベルリン市内からだけでなく、郊外からも見えるため、すぐにベルリンの象徴的な存在となっていきました。

 実はこのタワーの建設は、壁によってベルリンの街が完全に分断される以前の50年代における都市計画の中ですでに議論になり、計画案も提案されていました。戦後、米・英・仏・露によって分割されていたベルリンでは、統一後の都市形態を巡り、互いに都市計画コンペを別々に行うなどして意見の対立がありました。結局、東ベルリンは独自のコンペで決まった都市計画を行っていくことになりますが、ここでヘルマン・ヘンゼルマンというドイツ人建築家によって今のテレビ塔の球体デザインがすでに提案されていました。しかし、この時には審査に通らず、実際の建設は東ドイツ建国20周年に際してのシンボルタワーとして開始されました。

  このテレビ塔のデザインで最も特徴的な部分は、やはりタワーの真ん中より少し上にある球体でしょう。この球体の中は展望台となっており、エレベーターを使ってアクセス出来きます。そこからはベルリンの街を360度見渡せるようになっており、中にある回転レストランも含めて人気の観光スポットとなっています。この球体デザインは、「スプートニク計画」という当時のソ連の人工衛星プロジェクトに由来するようです。このデザインはタワーの基礎部分にも見てとることができるでしょう。この人工衛星プロジェクトを通してソ連は人類初の無人人工衛星の打ち上げに成功したため、東側にとっては社会主義体制の優位性を示す大きな出来事だったのです。

上でも述べたように、このテレビ塔は60年代の東ベルリンによって建設されたことから、その建設技術の高さに驚くかもしれません。しかし、やはり約200mの高さに球体の展望台をつくることは、当時のエンジニアにとっても大きな挑戦であったようです。方法としては、鉄のフレームでできた球体部分を地上で組み立て、クレーンを使ってそれを200mの高さまで持ち上げ、地上からのびるコンクリートのシャフトとつなげられました。東側が建設したということでなくても、1960年代に建てられた建造物であることを考えるだけでも、エンジニアの努力もあって完成した立派なタワーです。そうした点では、社会主義側の体制や工業力などの優位性を西側にアピールするという東ドイツの当初の目的は達成されたと言えるかもしれません。ここを訪れた際は、そうした当時の状況も想像しながらテレビ塔を味わってみてはいかがでしょうか。

 

 

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