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(ベルリンの建築)外観だけでなく、中身も見所いっぱいの「赤の市庁舎」

更新日:2019年12月18日


ベルリンの観光名所としては、テレビ塔やアレクサンダー広場といったところが有名ですが、そこから歩いて数分の場所に「赤の市庁舎(Rotes Rathaus)」と呼ばれるベルリン市庁舎も、ベルリンの1つの見所として観光ブックで見かけます。その名称からも外観ばかりに注目されがちですが、屋内にも見所はたくさんあるのです。そこで今回は、この赤の市庁舎の歴史や見どころについて紹介していきたいと思います。

赤の市庁舎が建てられたのは、1860年代まで遡ります。設計は、ドイツ人建築家ヘルマン・ヴェーゼマンによるもので、建物全体はネオルネサンス様式でまとめられながら、74mの高さを持つ塔が中央にそびえるその姿は、フランスにあるラン大聖堂を彷彿されるものとなっています。第二次世界大戦を通して、ベルリンの大部分が被害を受けたことから、現在ではレンガ造りの建築を市内で見かけることが少ないため、その赤レンガの壮観な外観はベルリンの1つのシンボルとなっています。

実際、この建物もベルリン大空襲の際に大きく損傷してしまいましたが、戦後に再建されました。この建物は、当初から市庁舎を目的として建設され、ナチス時代の1933年から戦争終結までを除いて、竣工後から現在に至るまでここで市議会が開かれています。冷戦時代の東西ベルリンに分かれている期間はというと、東ベルリン側に赤の市庁舎があったため、東ベルリン市庁舎としてそのまま使われていました。そして、再び東西統一後にベルリン市庁舎としての役割を果たしています。そのようにして、中身は少し変化しながらも、ベルリンの市庁舎として使われ続けている建物なのです。

赤の市庁舎は、どうしても象徴的な外観ばかり脚光を浴びますが、屋内にも見所はたくさんあります。ここでいくつか紹介しておくと、まずワッペンザール(Wappensaal)という、もともと市議会の会場としてりようされていたホールがあります。日本語に訳すと、「紋章ホール」というようになりますが、これはステンドグラスでできた窓にベルリンのすべての地区の紋章がデザインされていることに由来します。これは、東ベルリンの市庁舎として利用されていた際もこのように飾られていたようで、東ベルリンがベルリンの再統一を目指していたことから、東ベルリンの地区だけでなく、西ベルリンにある地区の紋章も一緒にあったようです。

他にも、もともと祝賀の際に使われるホールとして計画されたフェストザール(Festsaal)もあります。このホールは、市庁舎建物内で一番大きな広間としてつくられており、室内装飾も非常に優雅で美しく設えられています。そして、列柱の間(Säulensaal)というホールも見所の1つです。ここは、本来図書館として計画されたホールで、交差ヴォールトの天井を支える柱がきれいに3列に並んでいるという、市庁舎内で最も美しいホールと言われる空間になります。列柱の間では様々な展示が行われ、無料で見学することができるようになっていますので、印象的な外観と合わせて、是非こうした赤の市庁舎の屋内も見学してみて下さい。

赤の市庁舎前で毎年開催されるクリスマスマーケットはこちらの記事で紹介しています。

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