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(バウハウス)現代の芸術界にも影響を与え続けるバウハウス(デッサウ・ベルリン編)

最終更新: 2019年12月18日


20世紀の芸術界に大きな影響を与えたバウハウスと言えば、ドイツ・デッサウにある初代校長ワルター・グロピウス設計の校舎を思い浮かべる方も多いともいます。1996年にバウハウスの他の建造物とともに世界遺産登録されたこの校舎は、内部を見学できることはもちろんのこと、当時学生寮であった棟に宿泊することも可能で、バウハウスを一日中体験できるようになっています。デッサウにおいてこのような素晴らしい校舎が建てられたバウハウスですが、ここでは1925年から1932年というわずか7年の活動で、1932年にはベルリンに再移転し、そこでもすぐに閉校に追い込まれてしまいました。今回は、前回のワイマールに続いて、デッサウそしてベルリンでのバウハウスの歴史や教育について見ていきましょう。

バウハウス初代校長のワルター・グロピウスは、ウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」からくる手工芸による芸術活動を最初の教育理念に入れていましたが、1923年に開催された「芸術と技術の統合」というバウハウス展の成功を境に、「技術は手工芸の先にあるもの」と当初の考えを発展させ、バウハウスでの教育方針を芸術と技術の統一へと切り替えていきました。この変化は、デッサウ時代に工房における実験的な生産方式から機械生産に適したデザインや製品の標準化・プロトタイプの制作に如実に表れてきました。

1926年にグロピウスのバウハウス・デッサウ校舎は完成するわけですが、1928年にはグロピウスに代わってスイス・バーゼル出身の建築家ハンネス・マイアーが校長に就任します。マイアーはバウハウスにおいて芸術面を取り除いていき、より徹底的に機能主義を推し進めていきました。このようなデッサウ時代に、マルセル・ブロイヤーの鋼管を使った椅子やモホリ=ナジの照明や調理器具といったバウハウスを代表とする作品が生み出されていきました。デッサウでのバウハウスは、こうした教育方針の変化や多くの作品により、実績に加えて財政面でも最も潤っていたバウハウス最盛期と言えるでしょう。

デッサウにおいて順調に成長していたバウハウスでしたが、校長であったマイアーが共産主義者であると疑われるなど、バウハウス内に政治的な要素を持ち込んだとして1930年に解任され、次の校長として建築家ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエが就任することになりました。ミースはバウハウスにおいて政治的な要素を配することはもちろんのこと、より建築教育の場へと推し進めていきました。しかし、当時ドイツではナチスがすでに大きく躍進してきており、ユダヤ人の巣窟とみなされたバウハウスは1932年に閉鎖に追い込まれてしまいました。

デッサウを追い出されたバウハウスですが、ミースによってベルリンに私立学校として再び開校しました。残念ながら、そこでもナチスによって共産主義書類を押収したとして閉鎖されて、1933年にミースはバウハウスを解散しました。バウハウスはこのように最後は政治的な理由で幕を閉じることになりましたが、14年という短い期間に多くのものを残し、それは現代にも影響を与え続けています。特にグロピウスの校舎をはじめとしてバウハウスのデッサウでの活動は現在でも非常に魅力的なものが多くあります。デッサウにはこの校舎の他に、教授陣が住んでいたマイスターホイザー(Meisterhäuser)やデッサウ・テルテン集合住宅(Siedlung Dessau Törten)などバウハウス関連の建築物が多く残されていますので、バウハウスの宿舎に泊まりながら、ゆっくりとバウハウスを堪能してみてもいいかもしれません。

●Bauhaus/バウハウス 住所:Gropiusallee 38, 06846 Dessau 開館時間:10~17時/月~日曜日 入場料: 7.5ユーロ(バウハウス校舎のみ/2018年6月1日より8.5ユーロ) 最寄り駅: Dessau中央駅 ホームページ(ドイツ語/英語):http://www.bauhaus-dessau.de/deutsch/start.html

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※バウハウスについてはこちらの記事でも紹介しています※

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#バウハウス #建築 #カルチャー