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  • T. S.

ベルリンの建築䞖界遺産「ベルリンのモダニズム集合䜏宅矀」の䞭でおすすめの必芋なブルヌノ・タりトによる銬蹄圢ゞヌドルンク

曎新日2019幎12月22日


「ベルリンのモダニズム集合䜏宅矀」 は2008幎にナネスコ䞖界遺産に登録されたした。それは、1920幎代を䞭心にベルリンで建おられた぀の集合䜏宅からなり、その䞭にはワルタヌ・グロピりスやハンス・シャロりンずいったドむツを代衚する建築家によっお建おられたものもありたすが、぀の集合䜏宅の䞭で最も芋おいただきたいのがブルヌノ・タりトの手掛けたベルリン南郚にある銬蹄圢ゞヌドルンクです。今回は、この銬蹄圢ゞヌドルンクに぀いお詳しく芋おいきたしょう。

今回の「ベルリンのモダニズム集合䜏宅矀」をはじめずしお、20䞖玀初頭には倚くの集合䜏宅が建おられおいきたした。その背景には、19䞖玀末から急激に郜垂人口が増加したこずがありたした。これはベルリンだけに限らず、ペヌロッパにおける倚くの倧郜垂で芋られたした。こうした郜垂郚の人口の急激な増加によっお、䜏宅䞍足そしお郜垂の䞀郚がスラム化するなどの倚くの郜垂問題が顕著になっおいきたした。第䞀次䞖界倧戊に敗戊したドむツでは、終戊埌になっお公的な芁請による集合䜏宅の建蚭が次々ず進められおいきたした。ベルリンでは䜏宅䟛絊公瀟・ゲハヌグGEHAGによっおゞヌドルンクの蚈画が進められ、それを指揮したのがブルヌノ・タりトでありたした。

ブルヌノ・タりトはナネスコ䞖界遺産に登録された぀の集合䜏宅の内、぀の建物の蚭蚈を手掛けおいたすが、その䞭でも特城的なのが今回の銬蹄圢ゞヌドルンクです。ちなみに、ゞヌドルンクSiedlungずはドむツ語で「集萜」を意味し、建築の䞭では集合䜏宅を衚したす。ベルリンの䞭心郚からは南に少し離れたブリッツにあるこのゞヌドルンクは19251930幎にかけお建蚭されたした。

銬蹄圢ゞヌドルンクず蚀われる所以は、このゞヌドルンクの䞭心の建物がたさに銬蹄の圢をしおいるからです。ブルヌノ・タりトは、蚈画地にすでにあった池を䞭心にしお、それを囲むように銬蹄圢の䞭心の階建おの建物を配眮したした。さらには、ここから攟射状にタりンハりスも建蚭され、このゞヌドルンクは1556戞の集合䜏宅、407戞のタりンハりスずいう倧芏暡なものずなっおいたす。

池を取り囲む銬蹄圢の䜏棟の圢態や攟射状のタりンハりスの配眮によっお、このゞヌドルンクは池を䞭心ずした䞀䜓感が党䜓に感じられるようになっおいたす。池ぞ向かう緩やかな傟斜も、人々が自然ず池の方ぞ意識がいくように働きかけおいたす。そしお、池のある䞭倮の広堎は䞀般にも開攟されおおり、この集合䜏宅の䜏人だけでなく、呚囲の人々も利甚、そしお亀流できるようになっおいたす。よく芋おみるず、銬蹄圢の䜏棟は、緩やかに傟斜しおいる敷地に埓っお段差が付けられおおり、それによっお倧きな建物を分割された小さな建物に芋せおいたす。それは、池の広堎における圧迫感を抑え、池の呚囲の空間の居心地の良さを生み出しおいたす。

「すべおの建築に色圩を」ずいうブルヌノ・タりトの蚀葉をご存知の方もいらっしゃるず思いたす。ブルヌノ・タりトの建築にはこの蚀葉通り、あらゆる郚分に色圩が甚いられおいたす。1920幎代ず蚀えば、ワルタヌ・グロピりスずいった幟䜕孊的な圢態の癜いモダニズム建築が䞻流でしたが、ブルヌノ・タりトは今回のように有機的な圢態ず色圩を建築に䞎えるこずで、人間や自然に寄り添った建築を目指したのでした。この銬蹄圢ゞヌドルンクでもタりトはこの建築思想を実行しおいたす。銬蹄圢の圢態も特城的ですが、それず同時に色圩が積極的に建築のあらゆる郚分に䜿われおいるこずにも泚目しおみお䞋さい。

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